よーみんな、待たせたな! 天下御免の傾奇者、前田慶次利益じゃ!
なんだなんだ?
最近、気温は高いのに雨が降っておるな~。
ジメジメしとると、わしの自慢の髷が萎れてしまうんじゃよ~。
湿気は敵じゃ! 今度、決闘を申し込んでやろうかの!笑
さて、昨日5月12日は米沢市関根にある羽黒神社へ
出陣して参ったぞ!
この羽黒神社は大同元年(806)、羽黒堂「羽黒大権現」として
大窪沢の山頂に創建。
その後、暦仁元年(1238)に現在の場所へ移されたんじゃな。
しかし、戦による火災によって本殿が焼失してしまったが、
慶長3年(1598)に直江兼続殿が再建したと言われておるのじゃ!
そして
第9代目米沢藩主、上杉鷹山公と
鷹山公の師、細井平洲先生。
この御二方と所縁の深い神社なのだ!
上杉鷹山公が学問の師と仰いだ細井平洲先生は
尾張国生まれ。現在の愛知県東海市じゃ!
そして我らが出陣した最大の目的は
細井平洲先生の故郷、
東海市からお越しの修学旅行生のお出迎えじゃ!
しかもなんと
213人!!!
わし、おったまげたわい!!!!
わしらの演武を熱い眼差しで見てくれたぞ!
不覚にも少しばかり緊張してしまったわ!!!
しかし、若いっていいな~!
中学3年生との事じゃが皆、元気!
お見送りの時は武将とハイタッチじゃ!
平洲先生の故郷、東海市では
「米沢を見ずして平洲を語るなかれ」
と言われるほど米沢との縁が深く、
平成12年には米沢市と東海市は姉妹都市になっておるのじゃな!
学思行 相まって良となす
これは細井平洲先生の言葉じゃ。
学び、考え、実行する。この全てが揃って初めて学んだことになる。
こういった言葉や教えがあったからこそ、
鷹山公の偉業が現代にも残っておるのやもしれませんな。
そして、鷹山公が政策や改革を行うにあたり
参考にしたといわれる人物が
上杉家筆頭家老、
直江山城守兼続殿でござる!!!
ん? 最近のわしのブログに兼続殿の名前が頻繁に出てるのは
気のせいか!?笑
いや、兼続殿が残した功績もそれほど多い、という証拠じゃな!
むぅ、鷹山公の顔出しパネルから兼続殿が顔を出しているとは、、、。
この写真を鷹山公が見たら多分、大爆笑するだろうなぁ~。笑
この日訪れた羽黒神社は
風が吹けば草や枝が揺れ、
耳をすませば小鳥のさえずりが聞こえるような
時の流れが緩やかな場所であったぞ!
何かに悩んでいるそこのお主!
羽黒神社へ行って耳をすませば
鷹山公や平洲先生の声が聞こえてくるやもしれんぞ!汗
わしは天気のいい日に行って、木陰で一杯やろうかの~。
おっ、もうこんな時間か!
明日の出陣の準備をせねb、、、
「上杉神社」に出陣
ん!? わしと兼続殿は行かないのか!?
仕方ない、朱槍の補修でも致そうかの~
ま、明日はゆっくり休もうかな!ははははははははははは
よし、今日はここまで!
慶次様
お疲れ様です。
CLOSEイベントの詳しいご報告、有り難うございました。
姉妹都市から頼もしい援軍が
たくさん、いらっしゃいましたね。
400年の時を超えてまた繋がった縁、
鷹山公も平洲先生もさぞやお喜びでしょう。
「学思行相まって良となす」
いい格言ですね。
皆様からもこの言葉を聞いて
心に響いたことと思います。
羽黒神社で歴史に思いを馳せ、ゆったりした時を過ごしたいですね。
今日は慶次様にお会いできませんが
最上軍と伊達軍にご挨拶してきます。
またぶろぐを楽しみにしております。
まったねえ(^-^)/