お早う様、最上じゃ!
暫く日記を御無沙汰致してしまい申訳のう御座る。
さてさて、我らがあちらこちらに出向き、せっせとさくらんぼ体操を広めて居ったら
「第5回日本一さくらんぼ祭り」まであと3週間と迫って参っておるではないか!
と言う事は・・・
「第二回山形夏の陣」も来てしまうのじゃな?
ええ~っ!!!
聞いてないよ~!
・・・・・・・
いや・・・
すまぬ
聞いておったし
知っておった。
なれど、
戦支度がまったく整っておらぬ。
このまま戦に赴けば・・・
間違い無く討ち死にじゃ。
う~む、よき策は無いものか・・・?
先ずはご先祖様にお知恵を拝借致そうか。
先日、秋田は横手市にて謁見致した御先祖様は、余りにもぶっ飛び過ぎ、卓越しておられ真似出来ぬ。
なれば、やはりこの御方!
最上の祖 斯波兼頼様じゃ
兼頼様は、延文元年(1356年)に奥州大崎から出羽山形に入部なされ、初代最上として定着し、この地を築く礎となられた御方じゃ。
由緒正しき源氏・足利氏の流れをくみ、八幡太郎源義家様から数えると11代目の子孫に当る。
そして初代最上家・兼頼様から数えると、わしも11代目なのじゃ。
なんと奇遇な。
最上家の家宝である、源平重代の名刀「鬼切」も兼頼様から伝わったものじゃ。
菩提寺は山形市内、七日町にあります光明寺。
光明寺は、兼頼様ご自身が建立なされた寺で、最上家の祖の菩提寺として、わしの時代には山形城二の丸東大手門(現在の霞城公園)の前に寺院を置き弔っており申したが、後の山形城主、鳥居忠政殿によって城外の現在地七日町に移建されました。
そう、七日町と申せば「第5回日本一さくらんぼ祭り」の会場となる「山形県郷土館・文翔館」のある町じゃ。
さくらんぼ祭り、そして山形夏の陣にお越しの際には是非、最上の祖・兼頼様にお会いされてみては如何かの?
この光明寺からほど近い市内、緑町(みどりちょう)には、駒姫の菩提寺・専称寺が御座います。
戦国の世に翻弄され、理不尽な哀しい最後をとげた我が愛娘を弔う墓が置かれております。
人知れぬ境内の奥にひっそりと立つ五輪塔が駒姫の墓で御座る。
五輪塔の墓は後に立てられたもので、当時は墓を立てる事さえはばかられ、せめてもと石をひとつ立てるのが精一杯の弔いで御座いました。
だが、駒姫の生涯を悲しんで下さる方々が今なお献花に訪れて下さり、いつも花が絶えませぬ。
有難きことで御座る。
駒姫の後を追うように逝った母もこの寺で一緒に弔われております。
山形に御越しの折には足を運んで、出羽の歴史を感じてみて下さりませ。
次回はさくらんぼ祭りの歩き方、その二を予定しておりますぞ。
本日はここまで!
出羽、さらばじゃ!
山形市は、城下町。歴史に関しても、興味深いですね。
私自身のジンクスを、気にせずに観光したい街ですね。そして、さくらんぼ祭りも、参加したいですね。
山形市はお蕎麦屋さんが、多いような気がします。どことなく風合いが会津若松市に近いような。同じ雪国だからなのでしょうか。
さくらんぼ祭り、今年こそはさくらんぼをお土産に買っていきたいです。去年は、大雨で鉄道が心配になり、ダッシュで山形駅にいったから。今年こそは‼
義光様、こんにちは~。
山形市には義光様に関わる歴史がたくさん残っていますね。まだまだ行ったことのない場所が多いので、機会があれば自分の目でも見てみたいなぁと思います(’-’*)♪
夏の陣までもうすぐですね!今からワクワクしておりますっ。
端午の陣に引き続き楽しんでくださいませ~。
山形の美味しいさくらんぼも食べれると良いですね(*^^*)