オンベイシラマンダヤソワカ!
この度、我が御父上、謙信公が厚く信仰されていた【御守本尊 泥足毘沙門天】が拝観出来ると知り、居ても立ってもおられぬ上杉景勝が今宵の筆を執る。
上杉家に関わる様々な文化・歴史・史跡・施設を紹介いたしておるこの日記であるが、此度は我が上杉家歴代藩主の菩提寺「法音寺(ほうおんじ)」を皆様に御紹介させていただこう。
謙信公は勿論、以後某から十二代藩主まで埋葬されておる全国でも屈指の墓所。
そしてその「上杉家廟所」のすぐ傍に、此方、菩提寺「法音寺」が御座います。
山号は八海山。
元々は越後の国南魚沼郡藤原の里、八海山の麓に、聖武天皇の勅命により天平9年(737)に総建された歴史ある寺で御座る。
天正年間に上杉家の帰依寺となり春日山に移され、慶長6年(1601)、会津から米沢に国を移すに際、某が米沢城二の丸に建立致した。
明治3年(1870)には藩命により、歴代藩主の御廟所のある現在の場所へと移転し現在に至る。
此方、「八海山法音寺」は菩提寺として歴代の位牌を守って下さるのみに留まらず、上杉家の家宝も丁重に管理保管して下さっておるので御座います。
謙信公が出陣の際必ず執り行った武禘式で自ら祈りを込められた「泥足毘沙門天像」、
川中島合戦の折に、戦火を避けるため信濃善光寺より移した「善光寺如来尊」、
越後北蒲原群菅谷の明玉護国寺の御本尊「菅谷不動尊」などなど、他にも貴重なお宝を収蔵されておられます。
中でも某が心惹かれるのが「泥足毘沙門天像」で御座る。
戦に明け暮れる日々を送っておられた謙信公が、久しぶりに春日山城に帰陣された時の事。
城内の毘沙門堂へ参拝されたところ、驚いたことに堂内には泥(小さな足跡)が点在していたそうじゃ。
この足跡は堂内に祀ってあった毘沙門天像へと続いていたと申すではないか。
謙信公は「毘沙門天王が我と共に戦って下さっていた証しである」とたいそう御喜びになられた。
それ以来、上杉家中においては、この毘沙門天像を「泥足毘沙門天」と呼ぶ様になったので御座る。
そしてこの度、これら「お宝」の数々を直に拝見出来るのじゃ!
収蔵品、約50点を御覧いただき、更には御霊所が開かれ上杉家歴代藩主の位牌を直接拝むこともできます。
この様な、またとない機会、見逃す手は御座いませぬ。
歴史に興味のある方もない方も、この機会に是非とも米沢を訪れていただき、上杉の城下町の貴重な歴史と、謙信公以来受け継がれて来た「義」と「愛」を間近に感じていただければと思いまする。
さて、明日は
前橋市八木節保存会上泉伊勢守信綱ゆかりの地米沢訪問団奉納演奏に出陣
の予定となっておりまする。
それでは本日は是にて筆を置く。
撤収!
おはようございます、景勝様☆
法音寺のご紹介誠にありがとうございます。
米沢には何度も足を運んではいるものの未だに上杉家廟所に伺っておりませんので丁度よきタイミング!
この期に是非とも上杉家廟所と共に法音寺にも行ってみたくなりました。
御守本尊 泥足毘沙門天が拝観出来るとは滅多ない貴重な体験となりましょう。
DC中に米沢に行きたいと考えておりますので、拝観期間中に一度参ります!
上杉の歴史を肌で感じられる米沢は私にとって大好きな地でございますので行きたいと思える場所が
どんどん増えていくことは大変嬉しゅうことでございまする。
長い期間をかけて上杉縁の場所を巡る必要がありそうですね。
そして!まもなく山形DCが始まりますね。
街のあちらこちらに山形のポスターを見かけると心うきうき致します♪
しかも最近最寄り駅には山形日和の旗が飾ってあるので通勤前に見て元気をもらっております(笑)
来月からの山形、そして米沢の盛り上がりを楽しみにしております!
愛の武将隊の皆様も頑張って下さいませ。
また、暑い日が続いておりますのでお体に気をつけて日々を御過ごし下さい。
では、この辺りで失礼致します。
景勝様
こんばんはヾ ^_^♪
お疲れ様です。
上杉家の史跡の数々、まだまだあるのですね。
上杉家廟所と合わせて「法音寺宝物展」を拝見できるまたとない機会、
逃す手はございません。
謙信公が崇拝した「泥足毘沙門天像」のお話も不思議ですね。
歴史をこの目で確かめるべく、是非是非行ってみたいと思います。
今週は気温の高い日が続くようですね。
お身体ご自愛くださいませ。