日、いち日と春めいて参りましたなあ、上杉景勝に御座る。
先日は、上杉の故郷・越後の地に里帰り致し、
北陸新幹線「上越妙高駅」開業1周年、国際ご当地グルメグランプリ 選抜特別大会へと参陣、
第5回米沢冬の陣以来、謙信公にも拝顔叶い、意気揚々米沢に戻って参りました。
越後の地はふるさとなれど、いざ足を踏み入れますれば、様々な想いが駆け巡る地でも御座る。
中でも深く刻み込まれているのが
「御館の乱」
今更申すまでもなく、皆様も御存知で御座りましょう。
謙信公がお倒れになられ、わし上杉景勝と上杉景虎が家督を争った乱。
戦況が長引き目まぐるしく変わる中、越後各地で景勝派と景虎派の睨み合いや衝突が繰り返された。
結末は御存知の通り。
争いの最中、各地に戦火が飛び火し、その際、一件の寺が戦火に巻き込まれてしまった。
「聖寿山 至徳寺」と称す寺であった。
越後守護代上杉憲将の子、久庵僧可(勅謚佛印大光禅師)父を弔うため、至徳年間(1384~1387)越後府中に建立された寺で、
以後は越後守護代家の菩提寺として厚い保護を受けた寺じゃ。
その寺は今どうなっておるのか?
戦火に巻き込まれ全焼したものの、越後の地にて再建されることはなかった。
上杉の会津・米沢移封に伴い至徳寺の僧侶のみが米沢の地に移った。
時の住職、名を豊山能達と申した。
此の住職は直江兼続の義母(お舟の方 母)の甥であったため、兼続の加護により米沢の地で至徳寺を再建。
その際、豊山能達和尚は、直江兼続の義母(お舟の方 母)の法名「鳳台正国大姉」から二文字をとり、
寺号を「至徳寺」から「鳳台寺」に改号し現在に至っておる。
こちらが「聖寿山 鳳台寺」
現在おかれている場所は米沢市内
上杉所縁の春日山 林泉寺から少しばかり西へと向かった
堀川町(旧町名:与板町)
旧町名を見れば一目瞭然、当時越後から移った与板衆を住まわせたと考えられている町じゃ。
越後から米沢に移り、寺号が変わっても上杉歴代当主に篤く加護され今に至っております。
新潟県内からわざわざこちらへお参りに足を運ばれる方が今でも多いとお聞き致した。
上杉神社や春日山林泉寺へお越しの際は是非、足をのばしてみられては如何で御座ろうか?
さて明日は久方ぶりに長井市の總宮神社さんへと出陣致す!
3/19 長井市總宮神社に出陣
此度の出陣は午後2時からの1回のみとなりますのでご注意下され。
今年最初にして、今期最後の總宮神社出陣と成ります。
お時間が御座いますれば是非御越し下され!
皆さまの御越しをお待ち致しております。
今宵はここまでにして筆を置こう。
本日は是にて撤収!
※初稿文中に誤変換表記の為、本文は修正版となります。 御建て→御館の誤りで御座います。訂正しお詫び申し上げまする。
景勝様、こんばんは~。
上越への遠征、お疲れ様でした!開業一周年と、出来たての駅は広くて大きかったですね。お忙しいご様子でしたからグルメも堪能できなかったようですが(^^;
林泉寺には足を運んだことがありましたが、鳳台寺のことは知りませんでした!暖かくなってきましたので今度米沢に行く際には、行ってみたいと思います。
明日の出陣は久方ぶりの神社へ出陣ですね、頑張って下さいませ~♪
景勝様
總宮神社出陣お疲れ様でした。
いよいよ春めいてきましたね。
今日は此方も14度とコートもいらずでした。
桜の開花も早まるようですが、皆様の出陣と合わせての開花となるといいですね。
さて、お忙しい日々の合間を縫っての米沢探訪、
越後から移ってきた「鳳台寺」のご紹介、有難うございます。
旧町名からも確実に移ってきたことがわかり、上杉の城下町の歴史を感じますね。
機会が有りましたら行ってみたいです。
この頃は駅からすぐ景勝様に教えていただいた「ヨネザアド号」に乗り
上杉神社に直行できるようになりました。
地図を頼りにいろいろな史跡や観光地にも行けるようになりたいです。
では、お会いできる日を楽しみにしてまたでござります。(^o^)/