御無沙汰致しており申す、上杉景勝に御座る。
実頼が旅立ってしまいボケ合戦に興ずる相手がおらず、すっかり呆けておった。
いつまでも呆けてはおられぬので、本日は明日、我らが出陣致す
について少々書き綴って参ろう。
此度我らが出陣致す「白子(しろこ)神社」は奈良時代、和銅五年(712年)の創建と伝わる、
実に1300年以上の歳月を経た、全国でも屈指の歴史を有する由緒正しき神社に御座る。
和銅五年(712年)と申せば、日本最古の歴史書「古事記」が完成した年でも御座る!
社名の由来は、神のお力により桑林に蚕が大発生、その蚕が桑を食べ沢山の繭を作る様が、
まるで一面雪が降った様に白く、この不思議な現象から、この地を白蚕(しろこ)村と呼び、
社を建て白蚕(白子)明神と名付けられたそうである。
2012年に創建1300年を迎えた事により、氏子活動の再開が図られ、以前には行われておった縁日やお祭りが復活を果たしたのじゃ。
1300年の長きに亘り、出羽米沢の歴史を見守ってきたこの神社
この地を治めて参った歴代領主、長井氏、伊達氏、蒲生氏、そして我が上杉から
深く信仰を集め、手厚く保護されて参った。
蒲生氏の時代には、米沢城の鎮守社となり、我ら上杉が会津へ国替えとなった際には
米沢城に入った直江兼続が社殿の改修を行っておる。
上杉十代目当主、鷹山公の時代には、当時大変厳しかった藩の財政立て直しを図るにあたり
倹約を誓う決意書「倹約誓詞」をこちらの神社に納めておる。
斯様に歴史深く趣のある白子神社、是非皆様に直に御覧頂ければ嬉しゅう御座る。
近くには
直江兼続が創建し、学問所「禅林文庫」を開設した「法泉寺庭園と文殊堂」も御座います。
他にも
兼続が越後から米沢に移した「神達明神(かんだつみょうじん)」も御座る。
※画像は平成26年時点のもので、現在は外観は塗り替えされています
歴史好きにはたまらないスポットが近くに沢山御座います。
皆様の御越しをお待ち致しておりまする。
本日は是にて撤収!